大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和56年(オ)26号 判決

上告人

増田正男

上告人

増田チヨコ

右両名訴訟代理人

中村詩朗

平井範明

被上告人

大洲市

右代表者市長

近田宣秋

被上告人

佐矢野英僴

被上告人

菅毅

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人中村詩朗、同平井範明の上告理由一について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

同二について

原審の適法に確定した事実関係のもとにおいては、頭蓋骨陥没骨折の傷害を受けた患者の開頭手術を行う医師には、右手術の内容及びこれに伴う危険性を患者又はその法定代理人に対して説明する義務があるが、そのほかに、患者の現症状とその原因、手術による改善の程度、手術をしない場合の具体的予後内容、危険性について不確定要素がある場合にはその基礎となる症状把握の程度、その要素が発現した場合の対処の準備状況等についてまで説明する義務はないものとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

よつて、民法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(木下忠良 栗本一夫 鹽野宜慶 宮﨑梧一)

上告代理人中村詩朗、同平井範明の上告理由

一、〈省略〉

二、原判決は、上告人の予備的請求を棄却しているが、これは原判決が手術に際しての医師の説明義務の内容、程度に対する解釈を誤り、結局判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背ある場合に該当するので、これを破棄し、前記上告状、上告の趣旨、予備的請求記載の判決を求める。

1 即ち、医師の説明義務の内容は、前記準備書面第二の二の2前段記載のとおり厳格なものであらなければならない。

2 本件においては、前記準備書面第二の二の3記載のとおり、現実に選択の余地のあつたことからしても、原審が上告人ら主張の説明義務の一部を排斥し(原判決二六丁裏三行目以下)、原審認定の事実(しかも右事実中には手術開始後の事情も含まれている)をもつて、右説明義務が果されたとするのは違法な判断といわざるをえない。

〈参考・第二審判決抄〉

(高松高裁昭五一(ネ)第四一号、昭55.10.27判決)

三 次に、控訴人らが主張する説明義務違反の有無について検討する。

1 一般に、開頭手術は、危険なもので患者の身体に対する重大な医的侵襲であるから、これを施行しようとする医師は、その侵襲の内容及びこれに伴う危険性を患者(法定代理人があるときは法定代理人をいう。以下同じ。)に対し説明する義務があると解するのが相当である。もつとも、患者側が、右侵襲の内容及び危険性について認識し、又は当然認識すべき事情及び通常予測できずごくまれに発生する危険については、これを省略しても差しつかえないが、その反面、患者側がしばしば無知であり、誤解している事情もあるから、右の点につき説明を求められなかつたからといつて、これを全く省略することは許されず、医師が善良な管理者として、その具体的事情のもとにおいて相当と認める範囲に及ぶべきものである。

なお、患者側においても、不明の点については、医師に対し確かめ説明を求めて誤解や心残り等の生じないようにすべきは条理上当然である。

2 前記争いのない事実と〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 控訴人増田チヨコは、亡正行が左側後頭部に受傷後、同人を背負つて芳我医師方へ行き、同医師の診察を受けたところ、いつたん入院せよといわれ、娘を通じて控訴人増田正男に連絡させ、その準備をしようとしたが、まもなく、陥没骨折による脳内出血のおそれがあり、血腫除去手術の必要があるかもしれないと考えた同医師から脳の手術をする医師のいる市立大洲病院へ転医するように指示されたので、これに応じ、同医師と看護婦の付添のもとに酸素ボンベで吸入させながらタクシーで市立大洲病院へ行つた。

(二) 被控訴人佐矢野は、自宅で夕食をとろうとしていたが、電話連絡を受けて、直ちに同病院へ出頭し、芳我医師から亡正有を引き継ぎ、診察を始め、諸検査を経た後、脳損傷が疑われたので、早期に本件開頭手術をする必要を認め、控訴人増田正男にその旨告げて、亡正行の手術をすることにつき承諾を得るとともに、同控訴人に対し、輸血のために二〇人分くらいの協力が必要であるから、これを準備するように指示した。

(三) 控訴人増田正男は、直ちに芳我医師に電話で右輸血につき援助を依頼し、入院準備のため、いつたん自宅へ帰つた後、再度同病院へ行つたところ、被控訴人佐矢野から、手術室に親族の者が一名入るように指示されていることを知つたが、控訴人両名は、亡正行の手術姿を見るのをいやがり、来合わせていた控訴人増田チヨコの兄飾章治郎に依頼して、手術室へ入つてもらい、数分くらいして出てきた同人から、亡正行の頭皮が開かれ、受傷部分の頭蓋骨に三本に分かれたひびがあり、血がにじんでいた模様を見せて説明された旨の報告を受けた。

なお、原審における控訴人増田正男は、右手術につき、傷口を縫う程度の簡単な手術と思い承諾した旨供述するが、右認定のように、同控訴人は、被控訴人佐矢野から、二〇人分くらいの輸血が必要である旨告げられているのであつて、このことから考えても、相当大きな緊急手術を予想できたと認むべきであり、右控訴人の供述は、とうてい採用することはできず、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

右認定事実によると、亡正行の手術は、その受傷部位からみて、左側後頭部という枢要部であり、被控訴人佐矢野から多人数分の輸血を必要としていることが明言されているうえ、芳我医師がいつたん入院を決めながら転医を指示し、転送の途中には酸素の吸入までしている経過などから、亡正行にとつて危険かつ相当大がかりなものになることは、控訴人らにとつて容易に認識しえたことが推認される。しかも、本件手術は、夜間に及ぶものであり、被控訴人佐矢野において、具体的な手術の模様につき手術開始後に説明するため親族の者が手術室に入るように指示されたのであるから、控訴人らに対し、右手術につき画後に説明を受ける機会も与えられているのであつせ、同人らから依頼を受けた飾章治郎より右手術に関する報告もなされており、これらの諸点をあわせ考えると、被控訴人佐矢野、同菅において、説明義務に違反したものと断定するのは困難である。控訴人らの理解認識があるいは十分でなかつたとしても、控訴人らは敢て不安、疑問、不信を表明せず質問をすることもせず、医師たる被控訴人らと大洲病院を信頼して本件開頭手術を承諾したものと認められる。

なお、咽喉部、胸部、腹部に対する手術は最悪の事態に対処する蘇生術として違法はない。

3 控訴人らは、説明義務の内容として、前示のほかに、現症状とその原因、手術による改善の程度、手術をしない場合の具体的予後内容、危険性について不確定要素がある場合にはその基礎となる症状把握の程度、その要素が発現した場合の対処の準備状況等についても及ぶべきものと主張する。

そこで考えるに、現症状とその原因は、ことがらの性質上、その時の医療水準をもつても確知できないことがあり、本件においてもこの点が医師において詳細に把握されたと認めるに足りる証拠はないのであつて、本件において、これを説明義務の内容とすることは、相当でなく、また、手術による改善の程度、手術をしない場合の具体的予後内容については、いずれも将来の見込にかかり、確実に説明できることでもないし、まして現症状の原因さえ不明の場合にはきわめて困難を強いることになつて、この点も、本件においては、説明義務の内容とすることは相当といえないし、控訴人らの主張するその余の点に至つては、あまりにも詳細にすぎ、もしこれを積極に解するならば、その説明に相当の時間を要し、手術の遅延をきたし、患者側にいたずらに不安を招くことにもなるというべく、本件のごとき緊急手術においては到底これを説明義務の内容と解することはできない。

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